『シグルス=ゼバスティアン=ヴォルスングについて』 アサイラム過去編一人目 中編
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「今度はクラヴィーアか。本当にバッハが好きなんだな」
「……本当は協奏曲を弾きたいんだけどね」
初めて会ってからというもの、すっかり私はシグルスにかかりっきりの状態だ。いや、あるいは、こちらが〈白夜の部屋〉に入り浸っている状態とも言えるのか。革命で婚約者を亡くしてから、彼を理解しようとしてくれる者は、今まで現れなかったらしい。そう、今までは。私なら、彼に上手く取り入って、権利書の在りかを見つけられるはずだ。いや、そうしなければいけないのだ。
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「おいおい、少し吸い過ぎじゃないか。気をつけないと」
「ケホっ、プクプクプク……うるさいなあ……ケホっ」
一ヵ月が経ち、二ヵ月目も終わりかけで、新しい季節がやってくる頃、シグルスは私と一緒の時だけ部屋から出るようになった。心を開いて来てくれているようで嬉しい。……もちろん、〈権利書〉が近づいているという意味で。
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「それでね、父様と来たら、そこで僕を殴り飛ばそうとしたんだよ、母様が止めてくれなかったら危なかっただろうね」
「ハハハ、それじゃまるで、うちの兄さんと一緒じゃないか、僕もよく殴られそうになって、そしたら母さんが……」
「お母さまが、どうかしたの?」
「いや、なんでもないんだ……」
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「そう……ところで、昨日、父様にギューキ家の者は、腹の底から信用するなって言われたよ」
「えっ……!?そ、それは、ずいぶん包み隠さずに言うんだな、シグルスは」
「父様より、君の方を信用しているからね。父様には知らない顔したよ」
「シグルス、きみ……」
こう言われた時は心底驚いた。驚いて、自分の企んでいることに気づいて、すぐに落胆した。……そういえば兄さんには、「お前は優しすぎるきらいがある。情が移りそうなら、早めにやれ」と言われていた。急いだほうがいいだろう。今夜にでも権利書を探しに館中を粗探ししてみようと思う。
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「たしか、最近シグルスは、よく一人でこの図書室に…うっ……!!」
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「こ、これは……」
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「グットルム、こんな夜中に、なにを……」
「シグルス……!」
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「な……なんで父様が?……」
「ち、ちがう!僕はまだ何も……」
「まだ……?」
しまった、と思った時には遅かった。シグルスは、僕を、まるで化け物でも見るかのような怯えた目で見つめた後、自室へと走り去り、そのまま出てこなくなってしまった。
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その後、執事に頼んで警察を呼んでもらったところ、公爵は急性心筋梗塞により病死したと判断された。 事件当日の夜は、正直自分が殺人犯にされるのではないかと眠れなかったが、今思えばシグルスの方が、よほど堪えたに決まっている。いくら嫌っていたとはいえ、たった一人の家族、父親が死んだのだ。実際シグルスは、公爵が死去した夜から三日経っても〈白夜の部屋〉に引きこもり続けていた。
「シグルス……辛いのは痛いほどわかるよ。僕も父を酷い状態で亡くしている。だけど君の場合は、悲しいけど、すぐにでも公爵を継がなければいけないんだ。せめて声だけでも聴かせてくれないか、心配なんだ……シグルス、おかしいな……?まさか……!」
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「……部屋のどこにもいない?もしかして、窓から……」
シグルスが〈白夜の部屋〉にいない、その時こそ権利書を探す絶好の機会だったというのに、気づいたら私は館を飛び出して森を駆けていた。シグルスを探すために。
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「一体どこに……あれは……」
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「シグルス……!見つかって良かった」
「……グットルム」
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「館の使用人の人たちも君のことを心配してるよ、早く」
「手を、放してしまったんだ」
「え……」
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「僕の婚約者だよ、可愛いブリュンヒルデ。革命のことは知ってるだろ」
「あ、ああ」
「あの日、軍のクーデターが起きて、どこに逃げるのかわからない混沌とした人だかりの中で、僕と父様とブリュンヒルデは亡命しようとしていた」
「……それで、なんでその、彼女は」
「後ろの方から突然、銃の発砲音と叫び声がたくさん聞こえてきた。さらなる混乱で人の波が激しくなって、……僕は、僕が、彼女の手を離してしまったんだ、僕が……もし僕が、あの時彼女の手を放してなかったら、今ごろ彼女は」
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「……シグルス、彼女、ブリュンヒルデのこと、本当に愛していたんだね。そのうえ伯爵もあんなことになってしまって……、僕にはまだ、兄弟や母がいるから、君の孤独の辛さは分かりようがないけれど、本当に愛する人を失う悲しみや辛さは想像できるよ」
「グットルム?なんで笑ってるの」
「ごめんね、笑うような状況じゃないし、君を不快にさせる気はないんだ。でも、……でも君が部屋にいないのを見て、気づいたら駆けだしていてね。君を見つけられた今、なんだか凄く、なんていうんだろう、ホッとしたっていうのかな……」
「……」
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「君って、本当に面白い人だね、人の気も知らないで浮ついたこと話し始めてさ」
「ごめ、…あっ」
「……ねえグットルム、こう見えて僕ね、君のこと……」
「シグルス」
「彼女以外で、こんな気持ちになったの、君だけなんだよ、だから、ね」
「僕から離れないでほしいんだ。もう二度と……」
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「……離れない、離れないよ」
シグルスが明らかに異常なことを言っているのは分かっていた。たぶん彼は、僕をブリュンヒルデと重ねているのだろう。しかし、彼が狂人だというなら、私も狂人だ。人を騙し、罪を犯そうとして、取り入ろうとした相手に、自分をかつての恋人と重ねられていたとしても、それでもいいと思ってしまっているのだから。
シグルスの爵位継承の前夜祭に間に合うように、明日の朝早くにグンナル兄さんに、この企みから降りることを言いに行こうと思う。今日の日記は、ここまでにしておこう。